滋賀県 -Shigaken-
近畿地方の北東部に「琵琶湖」と呼ばれる日本最大の湖があります。この湖のことを「滋賀県」と呼びます。滋賀県には、独特の発達を遂げ、水中での生活に適応した水棲人間が生息しています。隣県と滋賀県の仲は非常に悪く、一触即発の状態が続いており、観光などできる状態ではありません。 【県民性】 滋賀県人は琵琶湖での生活に順応した水棲人間です。彼らは琵琶湖の湖底に村を作り、普段はその中で生息していますが、陸棲も可能なため、陸上でも活動しますし、隣県へ侵入することもあります。
【歴史】 今でこそ滋賀県人と隣県の関係は最悪ですが、戦前はそれほどの緊張はありませんでした。隣県の住民も滋賀県人を湖の神と考え、「深きものども」と呼び、崇めていました。定期的に供え物もしておりましたし、滋賀県人も琵琶湖から出て悪さをすることはほとんどありませんでした。
今では、滋賀県と隣県が互いに互いを憎しみあっています。滋賀県人は琵琶湖の近くを通り掛った人間を、手当たり次第、湖に引きずりこんで殺します。対して、隣県は工業排水を引き続き琵琶湖に流し込む一方、ピラニアを放流するなどして滋賀県人の絶滅を図っています。ピラニアの放流は滋賀県人のみならず、周りの生態系にも影響を与える恐れがあり、東京都などから非難の声が上がっています。 なお、最近ではH・P・ラブクラフトというアメリカの作家が、琵琶湖周辺にある寂れた漁村を訪れたところ、滋賀県人に襲われ命からがら逃げ出したエピソードが有名です。その時の恐怖体験を描いた彼の作品が「インスマスを覆う影」です。 【グルメ】
【宗教】
【故事】 現代でも良く使われる言葉に「急がば回れ」というものがありますが、これは室町時代の歌、「もののふの矢橋の船は速けれど急がば回れ瀬田の長橋」が語源と言われています。 当時、京都へ向かうには瀬田の唐橋(長橋)を渡る陸路と、矢橋から琵琶湖を横断する航路がありました。航路の方が距離的には近いのですが、琵琶湖の船旅は縄張り意識の強い滋賀県人を刺激する恐れがあり、船ごと琵琶湖に引きずりこまれることが多く、航路は危険と隣り合わせでした。そのため、危険な航路よりも遠回りしても安全な陸路を行くべきだとの慎重論が強く、このような戒めの歌が歌われたのです。 余談になりますが、滋賀、つまり琵琶湖は、その住人である滋賀県人の気性の荒さから、水産資源を利用することなどとてもできないと考えられていました。豊臣秀吉も、徳川家康も、滋賀県には手出しできなかったのです。為政者は常に滋賀県を無視し続けました。そのため、「滋賀」という言葉には「利用価値がない」というニュアンスも含まれているのです。「滋賀にもかけない」という用法はその顕著な例です。 【イベント】 滋賀県が行っているわけではありませんが、琵琶湖に関する有名なイベントが「鳥人間コンテスト」です。琵琶湖の交通に際し、航路がままならないため空を飛んで琵琶湖を横断しようと考えたのです。 この行事は江戸時代の初めより行われており、毎年、勇気のある若者が、自作の人力飛行機で琵琶湖の横断にチャレンジしました。もちろん、横断に失敗した者は滋賀県人に湖中に引きずり込まれるため、命がけのチャレンジとなります。莫大な成功報酬にも関わらず、長い間成功者は現れませんでしたが、近年になり、ようやく琵琶湖横断の成功者が現れ始めました。 【今後の対策】 隣県の住人にとって、滋賀県人は脅威の対象です。そのため、彼らは琵琶湖へ工業排水を流したり、ピラニアを放流したり、様々な手段で滋賀県人を苦しめています。もとより、滋賀県人は人間に比べて体力や耐性に優れるため、工業排水による汚染も致命傷とはなりませんし(人間だと一舐めで死にます)、ピラニアもさほど恐れてはおりません。ただし、彼らの主食である鮒の死肉が、ピラニアに横取りされることが大きな問題となっています。また、琵琶湖の水位は年々下がって来ており、隣県が琵琶湖を干上がらせようと考えていることは明らかです。
私たち都民は博愛主義の観点から、滋賀県と隣県に対しいがみ合いを止めるよう再三の警告を行ってきました。滋賀県人は容姿も文化も私たちとは大違いですが、それでも大きな範疇で捉えた場合、同じ人間です。同じ人間として、お互いを理解し、先入観に囚われず、友愛の情を深めていくことが何より大切なのではないでしょうか。また、それと同時に、滋賀県人の東京への密入国に関しては、取締りを一層強化していくべきだと考えます。 【観光難易度 ★★★★★】 トップページに戻る |